英語は本当に世界の共通語なのか

日本人は「外国語」という言葉を耳にすると、英語を思い浮かべることが多い。それは私たちが小学校から外国語として英語を学んでいるからだ。しかし、場所によっては外国語といえば英語以外の言語を思い浮かべる人もいる。その典型例が旧ソ連圏だ。

 

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上の図は、ロシア語が公用語として使われている、もしくはロシア語の通用度が高い国及び地域を示している。青い国はロシア語が公用語の国だ。ロシア、ベラルーシキルギスカザフスタンがロシア語を公用語に制定しており、この四カ国だけで1億6000万人がロシア語を話していることになる。ロシア以外の3カ国はロシア語以外にそれぞれの民族の言語(ベラルーシ語、キルギス語、カザフ語)を公用語化している。水色に青い斜線がかかっている地域はロシア語を公用語として使っている未承認国家と占領地域だ。これには、近年ロシアに占領されたウクライナクリミア半島モルドヴァ沿ドニエストル共和国(未承認)、ジョージア(グルジア)の南オセチア共和国・アラニヤ国(南オセチア自治州)、アブハジア共和国(アブハジア自治共和国)が独立を承認含まれる。クリミアにはロシア語話者の方がウクライナ語話者よりも多く、夏になると多くのロシア人で賑わうビーチもある。沿ドニエストルモルドヴァのロシア系住民がソ連末期のモルドヴァ民族主義に反対してティラスポリを首都として建国された。一応日本人も入国はできる。国旗はソビエト連邦の国旗でも使用された金の鎌と槌を使っている。

 

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沿ドニエストル共和国の国旗

 

南オセチアアブハジアはオセット人(イラン系)とアブハズ人(北西コーカサス系)のほかにロシア人も住んでいるらしいが、きな臭い地域なので日本人が行くことはないだろう。そしてそれ以外の国は、ロシア語が公用語ではないが、ロシア語の通用度が高い国だ。これにはバルト三国(ロシアと決別したため英語の方が多分いい)、キルギス以外の中央アジア(トルクメニスタンウズベキスタンタジキスタン)、モルドヴァウクライナ、トルコの東にあるコーカサス地方ジョージア(グルジア)、アゼルバイジャンアルメニア、モンゴル、そしてイスラエル含まれる。ウクライナモルドバでは看板などは現地語で、日常会話はロシア語だ。これはベラルーシにも当てはまる。現地語よりもロシア語の方が得意というのは、日本人からすればなんとも不思議な現象だろう。見て分かるとおり、旧ソ連の構成国がほとんどだ。意外なのがモンゴルとイスラエル。モンゴルの公用語モンゴル語キリル文字で書かれるため、モンゴル人は英語よりもロシア語を得意とする人が多いらしい。非スラヴ系かつ仏教国なのにキリル文字を使う理由は、モンゴルが昔ソ連の影響を受けて世界で2番目かつアジア初の社会主義国家だったからだ。一方、イスラエルにはロシア出身のユダヤ人(アシュケナジム)が多いため、ロシア語を話す人もいる。イスラエルの政府や企業はロシア語表記を併用しており、ロシア語話者が多く住んでいる。もちろん、現在はソ連が崩壊し、旧ソ連圏にも西側の文化が入ってきたため、若い人は英語を話す。数十年後にはロシア語の権威は弱まっているのかもしれない。

 

最後に、自分が英語が全く通じない場所に行った経験を話したい。数年前に東欧のポーランドに行った。首都のワルシャワや大都市のクラクフでは英語は通じることもあったが、ワルシャワ中央駅の窓口で英語を話すと嫌な顔をされ、ワルシャワ郊外のジェラゾヴァ・ヴォラ駅では全く英語が通じず、窓口のおばさんは終始私たちにポーランド語で話かけていた。また、お隣のチェコプラハでも英語はまあまあ通じたが、辿々しい人もいた。ハンガリーブダペストフランツ・リスト博物館で楽譜を買う際に英語で"How much is this?"ときいても何も言われず、ただ値札を指された。簡単なフレーズは多分理解できるのだろうが、自分から話すことはできない人だったのだろう。やはり旧共産圏の東欧では英語が完全に通じるとは言い難い。つまり、英語を覚えるだけでは不完全で、中央アジアや東欧に行く際にはロシア語を覚えて行った方が便利だろう。

 

 

 

人工言語

皆は、「人工言語」という単語を耳にしたことがあるだろうか。人工言語とは、字面の通り人の手によって、つまり人工的に作られた言語のことだ。

 

本来、言語は自然に長い時を経てできるものだ。たとえばヨーロッパのほぼ全域で話されているインド・ヨーロッパ語族は、大昔にインド・ヨーロッパ祖語が存在し、それがラテン語やスラヴ祖語になったりして、それらがさらに細かい方言に分かれて言語ができていった。一方、人工言語は人間が意図的になんらかの言語をもとにして語彙を作ったものだ。この話を聞いて、本当にそんなものがあるのか気になる人もいるだろう。今回は、代表的な人工言語であるエスペラント語を紹介したい。

 

エスペラント語の生みの親は、ユダヤポーランド人の眼科医であるラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフだ。彼は1859年に当時ロシア帝国領だったポーランドに生まれた。当時のポーランド多民族国家で、信条や言語などの違いに起因する争いが絶えなかった。その中で彼はこれらの違いを克服できる言語を作り、「エスペラント博士」というペンネームで新言語を発表した結果、「エスペラント語」と呼ばれるようになった。因みに、エスペラントという言葉はスペイン語esperanza(エスペランサ)などと同じように「希望」という意味を持つ。

 

次は実際にエスペラント語の構造を見てみよう。ありがたいことに、エスペラント語の話者は世界中に100万人~200万人いると言われており、日本でも白水社から「ニューエクスプラス エスペラント語」が発売されている。興味がある人はぜひ。

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それでは早速本題に入ろう。まずは挨拶。

Bonan Tagon こんにちは

Saluton やあ

Dankon ありがとう

Ĝis morgaŭ また明日

Ĝis revido さようなら

 

ゲルマン系やラテン系の言語を習ったことのある人なら、簡単に理解できるだろう。まず、Bonan は「良い」を意味するイタリア語Buonやフランス語のBonから、そしてTagonはドイツ語のTagから。Salutonはフランス語のSalutから、ありがとうはドイツ語のDankeやオランダ語のDankから。下二つドイツ語のBis morgenやBis(~まで)という言葉からできているのがわかる。revidoは接頭辞のre(また)とラテン系のver(見る)を組み合わせでできている。

 

次は挨拶以外の単語を見てみよう。

mi 私 

ni 私たち

vi あなた、あなたたち

li 彼

ŝi 彼女

ĝi それ

ili 三人称複数

studento 学生

elefanto 象

jes はい

ne 〜ない

nun 今

en 〜の中で

domo 家

 

こうしてみると、ラテン系やゲルマン系の言語にある語彙が多いことがわかる。まず人称代名詞は英語やスペイン語、そしてフランス語などにとても似ている(フランス語の一人称複数はnous、二人称複数はvousである)。mi,ŝi  が英語のme,sheなどから由来しているのは一目瞭然だろう。そして学生、象、はい、〜ない、英語やドイツ語に似ている。enはスペイン語やフランス語の前置詞en、domoは意味からすればロシア語などのдом(dom,家)から来ているだろう。

 

どうだっただろうか。確かに、現在では英語の地位がとても強く、エスペラント語の話者は少ないが、英語以外に新しい言語を修得したいという人にはとても良い言語だと思う。ぜひ、新しい言語を学んで、新しい価値観を身につけてほしい。До свидания.

多民族国家と日本

Здравствуйте! 

今日はタイトルにあるように、多民族国家を取り上げる。

 

多民族国家とは、その名の通り二種類以上の民族が生活する国のことだ。反対は単一民族国家。多民族国家の代表的な例はロシア連邦(196民族)と中華人民共和国(56民族)だ。日本も単一民族国家だと言われる場合もあるが、そもそも大和民族が混血で、アイヌ人もいるので多民族国家に分類されうる。私が普段大学で学んでいるドイツでもゲルマン系のドイツ人以外に、デンマーク人、フリース人、民族系統不明のシンティ・ロマ、そして隣国のチェコ人に近い西スラヴ系のソルブ人などが住んでいるため、多民族国家だ。ヨーロッパの多くの国は実は多民族国家だったりする。

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ソルブ人の民族衣装

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南ドイツの民族衣装ディアンドル

多民族国家ということは、国内に異文化が存在することだ。上の二つの写真は同じドイツ国内に住む民族だ。上は少数民族ソルブ人、下は主要民族のドイツ人だ。見ての通り、服の作りが全く違う。次はロシアの民族を比較してみよう。

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テニスプレイヤー マリア・シャラポワ

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フィギュアスケーター エフゲーニャ・メドヴェージェワ(左)とアリーナ・ザギトワ(右)

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トゥバ人の男性

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チュクチ人の男女

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フィギュアスケーター デニス・テン(旧ソ連カザフスタン出身)

上から順に主要民族のスラヴ人(一般的にロシア人と聞いて思い浮かべる民族), メドヴェージェワがアルメニア人(とスラヴ人?のハーフ),ザギトワイスラームを信仰するテュルク(トルコ)系のタタール人,モンゴル系のトゥバ人、ユーラシア大陸最東端のチュコトカ半島に住むチュクチ人、そして高麗人(韓国系)。他にも、ドイツ系やコーカサス系(ジョージア人と同系統)の民族なども住んでいる。デニス・テン以外はみんな国籍上はロシア人でロシア語(もしくは民族の言語も)話す。このように、ロシア人といっても、見た目は千差万別で文化も異なる。

 

しかし、多民族国家には問題もある。それは統合や同化政策だ。民族が違うと、統合や同化を行ったとしても宗教の違いなどから齟齬が生じたり、少数民族の言語が絶滅したりする。たとえば、ロシアのコーカサス地方(ジョージアとの国境あたり)ではチェチェン共和国(ロシア連邦自治共和国の一つ)でのチェチェン紛争アブハジア戦争が起こっている。また、ロシアでは多くの少数言語が絶滅の危機に瀕していると言われている。

 

日本も外国人労働者技能実習生が増加して、多文化社会化が進んだ。いずれ、日本でも民族の統合が重要な問題になる時が来るだろう。日本人はよく「郷に入れば郷に従え」という。しかし、それは「ここは日本だからお前らは箸で食事をしろ」とか「ここは日本だから日本語を話せ」のような文化の強制ではない。まずは互いの文化を尊重して、歩み寄ることが大切だろう。

 

今日はここまで。Пока 👋 

ポーランド~不死鳥の国家~

Dzień dobry!(ポーランド語でこんにちは)

今回はタイトルにもある通り、ドイツの東隣の中欧もしくは東欧の国、ポーランド共和国🇵🇱の紹介をしたい。まずは国の場所や首都などの概要から始め、代表的な観光地も紹介する。

ポーランド共和国(Rzeczpospolita Polska)とは

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中欧もしくは東欧に位置する。西にはドイツとチェコ、東にはウクライナベラルーシ、南にはスロバキア、そして北にはロシアの飛び地カリーニングラード州と接している。山が少なく、平地が多い国。国名も平原や野原を意味するpoleという言葉に由来する。ポロネーズマズルカといった民族舞踊が残っていて、音楽大国でもある。

・言語   ポーランド語(ロシア語に近い)

観光地や若い人には英語がまあまあ通じるが、年配の方や田舎では英語は通じない。第二言語としてロシア語やドイツ語が使われている。

・首都 ワルシャワ(Warszawa)

・人口 3700万人(2019年)

・面積 312,700㎢(日本よりちょっと小さい)

・有名なポーランド人 ショパンコペルニクスキュリー夫人

・国民 97%ポーランド人、残りはウクライナ人、リトアニア人、シレジア人、リプカ・タタール人など。

・宗教 バリバリのカトリック

・アクセス 成田空港からワルシャワ・フリデリック・ショパン空港までLOTポーランド航空の直行便で約11時間(安全な航空会社)

 

東欧?社会主義?治安は大丈夫?と思ったそこのあなた。安心して下さい。ポーランドは民主的で安全な国です。ただし、女性の1人歩きは避けた方がいいかもしれません。

 

ポーランド料理🇵🇱🥓🥬

ピエロギ(pierogi)

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東欧の餃子。挽き肉やキノコなどを混ぜた具を白い皮で焼いた食べ物。上に玉葱をかけて食べることもある。餃子よりは大きいからお腹に溜まりやすいかも。

ビゴス(bigos)

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東欧諸国で食べられる煮込み料理。材料はキャベツ、ザウアークラウト、肉類、キノコなど。

ジュレック(żurek)

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ポーランドの伝統的なライ麦のスープ。味は甘酸っぱい。

 

代表的な観光地

ワルシャワ(Warszawa)

ワルシャワの街は、第二次世界大戦でドイツ軍に破壊されたが、ポーランド人が瓦礫を拾い上げ、壁のヒビまで再現して全て建て直した。そ功績が称えられ、ワルシャワの歴史地区は世界遺産に登録されている。

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旧市街の中心、王宮広場。レストランが集まっていて、ここで王宮を眺めながら食べるのもいいかも。

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聖十字架教会。作曲家ショパンがパリで亡くなったあと、姉のルドヴィカが彼の心臓を故郷のポーランドまで運び、教会内部に安置された。

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夫のピエールと共にラジウムを発見し、ノーベル賞を受賞したキュリー夫人の博物館。日本ではマリー・キュリーとして知られているが、彼女の本名はマリア・サロメア・スクウォドフスカ=キュリーといって、実は生粋のポーランド人なのだ。彼女が使った実験道具も展示されており、理系の人にとってはとても興味深い博物館だと思う。

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フリデリック・ショパン博物館。ショパンの研究をはじめとして、ショパン国際ピアノコンクールの開催やパデレフスキ版の出版を行うショパン協会の建物の内部にある。かなり大規模な博物館で、彼が弾いたピアノや自筆譜を見れて、彼が書いた曲も聴ける、ショパン好きにとっては最高の博物館。ショパンの生家と合わせて訪れてほしい。要予約。

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ワジェンキ公園。写真奥の銅像ショパン。休日にはショパン像の横にピアノが置かれ、野外コンサートが行われる。曲目は勿論、ショパン

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ワルシャワ郊外のジェラゾヴァ・ヴォラ(Żelazowa Wola)にあるショパンの生家。ショパンはここでポーランドの民族舞踊を聴き、その経験が彼の音楽の基盤となった。生家の周りは公園になっている。今はワルシャワから直行のバスがあるらしい。

クラクフ(Kraków)

ポーランド第二の都市で旧首都。古い街並みが残されており、クラクフ歴史地区として世界遺産に登録されている。

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クラクフ歴史地区にある聖マリア教会。決まった時間に鐘楼で途中でトランペットの演奏がある。これは戦争でトランペット吹きが演奏中に亡くなったことを表している。カトリック大国らしく華やかな装飾になっている。

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織物会館。お土産屋さんが多い。有名なポーランド食器の店もあったと思う。

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ポーランド王カジミェシュ3世の城であった、ヴァヴェル城。現在は美術館。

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チャルトリスキ美術館。チャルトリスキはポーランドの貴族で、ロシア皇帝アレクサンドル2世の友人のアダム・チャルトリスキなどが有名。ダ・ヴィンチの「白貂(シロテン)を抱く貴婦人」が展示されている。

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白貂を抱く貴婦人

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クラクフ郊外の都市ヴィエリチカ(Wieliczka)にあるヴィエリチカ岩塩坑。これも世界遺産に登録されている。深さは地下327m。壁やシャンデリアなどの全てのものが岩塩でできているので、舐めるとしょっぱい味がする。

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負の遺産」と呼ばれ、ナチス・ドイツ第二次世界大戦中に収容されたユダヤ人など強制労働させ、大量虐殺したアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所。実はアウシュヴィッツ(Auschwitz)とビルケナウ(Birkenau)はドイツ語名で、現地語ではオシフィエンチム(Oświęncim)ブジェジンカ(Brzezinka)という。写真はアウシュヴィッツ第二強制収容所(通称ビルケナウ強制収容所)の「死の門」。線路はヨーロッパ中に繋がっており、到着した人々はここで強制労働か殺害に分けられた。当時のポーランドユダヤ人人口がヨーロッパの中で1番多く、強制収容所を建てるには絶好のスポットだった。その中でもここは「絶滅収容所」と呼ばれ、強制収容所の中でも大量殺戮のために建てられたものだった。「アンネの日記」で有名なユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランクは最初ここに運ばれ、のちにドイツのベルゲン・ベルゼンに収容され、そこで亡くなった。アウシュヴィッツの建物一部は証拠隠滅のために破壊されているが、ガス室があった部屋、囚人が寝る部屋、銃殺刑が行われた「死の壁」や絞首台が残されており、強制収容所の中で最も訪れるべき場所である。また、内部には博物館があり、囚人の写真、髪の毛、靴、義足、松葉杖なども展示されており、ひと目見るだけでかなり心が痛くなる。しかし、この場所はナチス・ドイツの残酷な過ちが保存された場所であり、後世にも伝えていくべき場所だと思う。ちなみに、アウシュヴィッツでは唯一の日本人ガイドの中谷さんがいて、強制収容所について詳しい話を聞かせてくれる。展示の英語の説明が理解できればガイドなしでも良いかもしれないが、ガイドつきが断然おすすめ。日本語のパンフレットやDVDも売っている。

 

長くなってしまったが、これでポーランドの紹介を終わりたいと思う。西ヨーロッパの華やかさがあまり好きではないではない人は東欧が合うかもしれない。音楽好きにも是非訪問してもらいたい。それでは、Do widzenia!

 

 

 

 

 

死語について

・「死語」とは

みんなは「死語」という言葉を耳にしたことがあるだろうか。日常的には「使用されなくなった単語」を意味する場合が多いが、言語学的には「使用されなくなった言語」を意味する。今回は、「死語」や消滅の危機にある言語を見ていきたい。

 

・世界の言語

Ethnologueによると、世界には7,000もの言語があることがわかっている。しかし、世界の半分以上の人はたった23の言語しか話していない。その中でも特に多くの人に話されているのは、中国語、ロシア語、英語、フランス語、アラビア語スペイン語だ。私たちが話す日本語は大抵ドイツ語の次の9位または10位にランクインしている。これらの言語をよく見ると、国の人口が多い国またはかつて帝国主義時代に多くの植民地を保有していた国の言語が多い。これらが先住民の言語を抑圧しつつ世界中に広まった結果、「死語」を生み出しているのだ。

 

・どんな言語が「死語」なのか

それでは、具体的にどんな言語が「死語」なのか。昔の言語なら、世界史でも出てくるヒッタイト語やシュメール語がそれに相当する。これらの言語はそれらが元々使われていた地域に流入した他民族の言語に吸収され、使われなくなった。最近なら、インドのアンダマン・ニコバル諸島で話されていたボ語は2010年に消滅した。2010年に最後の話者のBoaさんが亡くなったのだ。ボ語の話者はインドに65,000年前から存在していたとされ、言語の消滅によって受けた文化的ダメージは大きいだろう。

 

・消滅の危機に晒されている言語

「死語」の他に、将来的に消滅すると思われる言語も多数存在する。実際のところ、言語にはユネスコによって言語の状態にランクがある。消滅の危機がないのは「安全」とされ、脆弱、危険、重大な危険、極めて深刻を経て消滅に至る。私たちが話す日本語で考えれば、「極めて深刻」に値するのがアイヌ語、「重大な危険」が八重山語与那国語、そして「危険」が八丈語奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語だ。アイヌ語母語話者は80歳を越え、話者人口も10人ぐらいのため、消滅の可能性は非常に大きい。奄美や沖縄の方言においても、過疎化や人口の減少が進み、母語話者は減少している。また、イギリスでは今月2日にスコットランドで使用されるゲール語が消滅しかかっていると発表された。ゲール語の話者は1981年から2011年にかけて話者数がほぼ半減し、残りの話者も大半は50代以上の人で、若者への継承も進んでいないらしい。そのため、今後10年以内には消滅してしまうと考えられている。

 

・言語を消滅させないためには

ゲール語などの消滅の危機に瀕する言語を消滅させないためには何をすべきなのか。いくつかの方法が考えられるが、まずは若者への継承が最優先だろう。残り少ない話者が子供や孫世代に少数言語を教えることで、消滅を少しでも防ぐのだ。しかし、若者たちは社会的に優勢な言語を母語としているため、たとえば英語と全く違う語族のゲール語を習得するには時間がかかる。2つ目は言語の記録を行うことだ。これは言語学者の仕事になる。言語学者は消滅の危機に瀕する言語の話者のもとに足を運び、彼/彼女が話すのを録画・録音したり、記述したりする。それから言語学者たちは文法や文字を分析することで教材を作れるし、言語コミュニティの支援もできるようになる。教材が出版されればその言語を学んだことがないものもその言語を習得することが可能になり、その言語の専門家が生まれる。その言語を教えることができる専門家が生まれれば、学校を設立することもでき、言語の消滅は免れる可能性が高くなる。この方法は言語学者の行動さえ早ければ成功の可能性も上がり、現実味がある。3つ目は、政府が消滅の危機に瀕する言語を支援することだ。国家によっては標準語ではない少数言語を法的に認め、言語集団の活動を保護するケースも見られる。ただし、これはあくまでも活動の保護であり、消滅を防ぐこととは必ずしも直結しない。

 

・言語は生きる文化

言語はその国家や言語集団の文化を反映している?また、言語は時代の流れによって新しい語彙や表現が誕生し、常に進化を遂げている。つまり、言語は生きる文化なのだ。私たちが話す日本語もその一部だ。日本では標準語の導入によって方言の力が弱まり、方言をあまり話さない人も増えた。方言が忘れられつつある今こそ、私たちが古来から話される方言を見つめ直し、その方言が持つ文化を尊重し、保全するべきではないのか。

ヨーロッパの民族と言語

周知の事実だが、ヨーロッパではドイツ語、英語、フランス語、イタリア語などの多くの言語が話されている。ヨーロッパの言語を複数習った人ならわかるかもしれないが、複数の言語に同じような単語が見られる。たとえば、フランス語で「こんにちは」を意味するBonjourやイタリア語のBuongiorno、スペイン語のBuenos díasは全て同じ語源を持つ。英語のGood morning やドイツ語のGuten Morgenも同様だ。なぜこのような現象が発生するのか。それは複数の言語や民族が同じグループに属するからだ。

 

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上の図はヨーロッパの民族と言語の分布を示している。ヨーロッパの民族は大きく分けてゲルマン系、スラヴ系、ラテン系がいる。民族や言語の詳しい分布は以下のようになっている。

赤: ゲルマン系(ドイツ人、オランダ人、アングロ・サクソン人、デーン人、ノルウェー人、スウェーデン人など) 主な言語は英語、ドイツ語、オランダ語デンマーク語、ノルウェー語、スウェーデン語など。

青:ラテン系(イタリア人、フランス人、スペイン人、ポルトガル人、ルーマニア人、モルドヴァ人など)主な言語はイタリア語、フランス語、スペイン語ポルトガル語ルーマニア語など。

緑:スラヴ系(ロシア人、ポーランド人、チェコ人、スロヴァキア人、スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、ボシュニャク人など)主な言語はロシア語、ポーランド語、チェコ、スロヴァキア語、セルビア語、クロアチア語スロベニア語など。ロシアやブルガリアなどの正教会信者が多い国ではキリル文字(здравствуйтеなど)、カトリック信者が多い国ではラテン文字(Adhdlfndなど)が使用される。

スペイン・フランス国境:バスク人 民族系統は不明。バスク語とフランス語/スペイン語を話す。

フィンランドノルウェー北部・スウェーデン北部・ハンガリーエストニア:フィン・ウゴル語派(アジア系)。ハンガリー人は日本語と同じように名前を姓、名の順に書く。

アルバニア:アルバニア語、民族系統不明。

リトアニアラトビア: バルト・スラヴ語派に属するバルト人。リトアニア語とラトビア語。

フランス語北東部とスコットランドウェールズ:ケルト語派。ヨーロッパの先住民族であるケルト人が住んでおり、イギリスではスコットランド語、ゲール語、そしてウェールズ語が話され、フランスではブルトン語が話される。

ギリシャ:インド・ヨーロッパ語族ヘレニック語派でギリシャ人の居住地域。主にギリシャ語が使用される。

 

このように、ヨーロッパには多様な民族が暮らしている。彼らの言語はグループに細かい分かれており、似ているものもある。たとえばゲルマン系のドイツ語とオランダ語、ラテン系のイタリア語とスペイン語は文法構造や語彙がそっくりで、双方の言語の知識がなくても理解できる。これを言語学の言葉で「相互理解可能性」(mutually intelligible)という。実際、私もドイツ語を習っているため、オランダ語は読めば大体理解できる。是非みんなにも、ヨーロッパの言語に挑戦し、ヨーロッパの文化をもっと理解して欲しいと思う。

Пока! 

ドイツ〜ビールとソーセージの国〜

今回は私が大学で研究しているドイツについて書きたい。日本人が「ドイツ」ときいて思い浮かべるのは、ビール、ソーセージ、ワイン、クラシック音楽、最近だとクリスマスマーケットを浮かべる人もいるかもしれない。たしかにそのイメージは正しいが、実際に一部に過ぎない。ここではドイツ全体の文化やその他諸々色々なことに触れていきたいと思う。

 

ドイツ連邦共和国(Bundesrepublik Deutschland)

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国旗の色は、黒、赤、金(黄色ではない)。

人口: 約8000万人。

首都: ベルリン

面積: 日本より少し小さいぐらい。

公用語: ドイツ語だが、少数民族デンマーク人、ソルブ人(チェコ系)やロマ(ジプシー)に加え、トルコや東欧からの移民も多いため、様々な言語が飛び交う。

宗教: カトリックプロテスタントが約29%ずつ、イスラム教が約2%、ユダヤ教が0.1%となっている。プロテスタントは北ドイツに多く、カトリックはその他の地域に多い。

地方行政区分: 16の州に分かれている。そのうちハンブルクブレーメン、そしてベルリンはひとつの都市でもありながら州としての機能も持つ都市州(Stadtstaat)と呼ばれている。州(Bundesland)の中に町が集まった郡(Kreis)があり、その中に小さな町(Stadt)がある。

・ドイツ出身の有名人

バッハ、ベートーヴェンブラームスなどの音楽家のほか、カント、ヘーゲルショーペンハウアーなどの哲学者、ゲーテ、シラー、ハイネ、トーマス・マン、グリム兄弟、ヘッセ、エンデなどの作家も多い。江戸期に来日したシーボルト(標準ドイツ語ではジーボルト)もドイツ人である。

 

🍺ドイツ料理🥩

ここでは地域ごとにドイツ料理を扱っていく。

 

•北ドイツ(Norddeutschland)

北ドイツはバルト海と北海に面しているため、他の地域よりも魚を食べることが多い。また、バイキング料理の影響受けた保存食っぽい伝統料理もある。

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まずは北ドイツの大都市ハンブルクの伝統料理ラプスカウス(Labskaus)を紹介したい。1枚目の卵の下の赤い塊はコーンビーフで、2枚目の写真にあるようなマチェス(ニシンの酢漬け)とピクルスと一緒に食べる。見た目は悪いがとても美味しい。

店の名前: Restaurant Parlament Hamburg 

Rathausmarkt 1, 20095 Hamburg, Germany

ハンブルク市庁舎のすぐ近くにある有名店。

 

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アルスターヴァッサー(Alsterwasser)

Wasser(ドイツ語で水)という名前だが、ビールをレモネードで割った、ハンブルクのお酒。レストラン以外では見たことがない。

店の名前: 上と同じ

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Holsteiner Schippe(ホルシュタインの船?)

北ドイツのホルシュタイン地方の料理。中身は豚肉とパンとサワークリーム。因みにホルシュタイン地方は乳牛のホルスタイン種の原産地。

場所: Kiel(シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州の州都)のクリスマスマーケット。

 

•南ドイツ(Süddeutschland)

シュヴァインハクセ(Schweinshaxe) 

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名前のSchweinは、ドイツ語で豚という意味。その名の通り、豚の脚をローストしたもの。とにかく肉の量が多い。日本でも食べれる。

 

白ソーセージ(Weißwurst)

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名前の通り白いソーセージ。バイエルン風のマスタードをつけて食べることが多い。ちなみに私は北ドイツに住んでいたため、まだ食べたことがない。

 

・全国的に食べられているもの

ザウアークラウト(Sauerkraut)

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sauer はドイツ語で酸っぱい(英語のsour)という意味。名前の通り酸っぱいキャベツ。これも美味しい。

 

ソーセージ(Wurst)

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白ソーセージは南ドイツの伝統料理だが、白くないソーセージはドイツ全国に売っている。日本よりも種類が多く、美味しいものが多い。

 

お勧めの観光地

ハンブルク

北ドイツにあるドイツ第2の都市。私の留学先で、中学生のときに住んでた町でもある。

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ハンブルク市庁舎

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アルスター湖
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エルプ・フィルハーモニー(コンサートホール)

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聖ミヒャエリス教会

 

・ベルリン

ドイツの首都で冷戦に翻弄された町。最近は再開発が進み、新しいショッピングモールなどもオープンしている。

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ブランデンブルク門。冷戦期はこの門の前に東西を分断する壁があった。
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ユダヤ人虐殺追悼碑
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ベルリン大聖堂

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イーストサイド・ギャラリー(ベルリンの壁)の「兄弟のキス」。左が、ソ連最高指導者のブレジネフ、右がドイツ民主共和国(東ドイツ)国家評議会議長のホーネッカー。
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ベルリンはドイツのB級グルメのカリーヴルスト(カレー粉をかけたソーセージ)の発祥地といわれている。

ブレーメン

ブレーメンの音楽隊」の舞台。

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町の中心部には音楽隊の像がある。ロバの足を触ると幸せが訪れるといわれている。

 

他にも紹介したい町は山ほどあるが、それはまたの機会にする。

Vielen Dank für Ihre Aufmerksamkeit und bis Bald! 🇩🇪